コロナ禍ということもあり、両親と2年ぶりに再開することとなる。
しばらく合わないうちに両親が年取ったように感じた。
我々の家に来ることは遠方でもうないことだろう。
年を取ることは、病とともに生きるということということを痛感された。
日に日に老いる姿を見るのは心苦しく、より一層病に苦しんでいる姿を見る。
未来の自分を見るとともに今まで大きな変化なく生きてくれたことに感謝をしたくなる。
今日、会えることはもう最後かもしれない。
親の口からも葬式には来てねとの言葉を聞くとは思わなかった。
両親自身もう長くないと実感しているのだと思った。
永遠ではない命は必ず終わりが来るものだ。
これまで生きてきた自分の人生も今まで通りというのは続かないことは実感するが、
今という時間が続かないことを想像したくないものだ。
両親は、続かない未来を自覚していると思うが、それはどういう印僑なのだろうか?
悲観的に生きることは、何に喜びを持って生きていけるのだろうか?
自分の生きていく将来に学んでいくものなのであろうか?
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